令和4年9月4日教授者会 「常滑急須の源流をひもとく」ー足利家茶瓶四十三品図録を中心に ー 講演 とこなめ陶の森 学芸員 小栗康寛 

年に何回か開催される教授者会は、お聞きしていて理解できないところも少なくないのですが 、私にとって煎茶の世界が広がっていく楽しい時間です。
 今回は、「常滑急須の源流をひもとく ―足利家茶瓶四十三品図録を中心として―」と題しての講演でした。そもそも「足利家茶瓶四十三品図録」とは何かというお話から始まりました。室町時代の文化 に造詣の深かった第8代将軍足利義政(1436~1490、在位1449~1474)収蔵の43種類の急須が収録 されている図録とのことです。 常滑の急須生産の始まりは、江戸時代の「知多名所図会」(1844)にみられます。また常滑 町史 (1931)によれば第二代稲葉高道(1800~1868)が駿河の国より「足利家茶瓶四十三品図録」 の古写本を持ち帰ったことの始まります。しかしながら義政の時代は急須が使われていたとは考 えられずこの写本については今後の研究を待つ必要があるとのことでした。
 いずれにしても江戸時代の終わりから明治にかけて常滑の熱心な陶工により、図録茶瓶の写し の横手の急須が数多く生産されるようになりました。この時代は煎茶が世に広がり、江戸、京都 大阪の文人が注目していた湯沸かし、酒器をルーツにした直接火にかける茶瓶を作る技術を磨い ていったと思われます。江戸の長い鎖国政策のもとで、中国へのあこがれから火にかけられる、白泥、朱泥の土を使った茶瓶(急須)が作られるようになったものです。  

尾張支部 神谷淑仙窟