令和5年9月3日教授者会講演報告

「文人画家はなぜ松を描くのか」一般財団法人 文人画研究会 会長 許 永晝氏

 今回の教授者会の講演は、なかなか難しい内容という前評判をそのままに日ごろの中国文化の素養のない私にとって、理解することは大変なことでした。私なりに受け止めることができたことを整理してみました。

 講演の初めに 儒教の宇宙観のお話がありました。「天」と「地」の間に「人」の暮らしている「人間(じんかん)」があり、「天」は陽気、神につながり、「地」は陰気、鬼につながっている。人の心は天に引き上げられ体は地に戻るというものらしいのです。この儒教の宇宙観をもとに掛幅の絵を見るとその表していることがよく理解できるということでした。

講演は、松を描いた文人画家の作品の紹介から始まりました。高橋雲亭(1871明治4~?)の「千年樹図」、瀧和亭(1830文政13~1901明治34)の「松間明月図」、富岡鉄斎(1837天保7~1924大正13)の「旭松図賛」 木下逸雲の(1800寛政12~1866慶応2)「松溪閑話図」、小田海僲の(1785天明5~1862文久2)「陶淵明像」などです。瀧和亭、富岡鉄斎は、共通の師である木下逸雲から松をモチーフとした絵の指導を受けました。松は「松竹梅」で知られるように中国の明時代、日本の江戸時代の高潔、吉祥の象徴でした。文人画といわれる松の絵は、いずれも冬でも葉を落とさず、枝や幹は龍の鱗甲をまとっているようで存在感があるものでした。

文人画の絵の中心に看家本儒として松が、そのそばに小さな祭壇が描かれているのは、龍につながる松が高貴なものとしてとらえられていたことを表しているようです。儒者の世界観に基づく松を描くことにより文人として目指す高みに近づこうとすることと受け取りました。つたない報告で身の縮む思いです。                            尾張地区  神谷淑子