令和5年3月26日教授者会講演「煎茶と茶の湯における青銅器と文人趣味」愛知県陶磁美術館学芸員 田畑潤(卣仙窟)氏

 今回は、「煎茶と茶の湯における青銅器と文人趣味」と題して、以下の項目でのお話でした。
 青銅器に造詣の深い田畑氏のご講演を十分咀嚼できないままですが以下の3つにまとめてみました。
1,青銅器とは
2,茶の湯における青銅器
3,煎茶における青銅器


1,青銅器とは
 青銅器は、銅と錫と亜鉛の合金で錫の割合が5~15%できたてのものは黄金色に輝いており、錫の割合が増えるにしたがって融点は低くなり、固さは柔らかくなり色は赤っぽい色から黄金色さらに白銀色に変化します。
 殷周時代BC16~8世紀に食器(鼎)、酒器(尊)、水器(卣)として作られていました。
 特に周時代において青銅器は、祭器としての性格を強め器種構成や数量から身分秩序を示す指標として用いられるようになり、「古代銅器」として後世の宋代の科挙の合格者である身分の高い人々が憧れをもつようになったといわれています。
 さらに時代を経て宋代以降、仏具としての役割が与えられ紋様には仏教や道教由来のものがほどこされた「倣古銅器」が出現し、そこから派生したものが日本にも輸入され、仏具や茶道具として用いられました。


2,茶の湯における青銅器
 桃山時代に古代の青銅器を倣った香炉や花器が使われています。
 留学僧により中国の宋代に使われていた青銅器の仏具として香炉、花入、燭台の三具足が元(1260~1368)より持ち込まれ、茶の湯の席に使われていました。
 茶の湯における銅器は、日本に渡来した時代から見ても、殷周時代の青銅器ではなく装飾性の少ない青銅器でした。


3,煎茶における青銅器
江戸時代後期、幕末に始まり明治時代に隆盛した茗讌図録から中国古銅器、とりわけ殷周青銅器を煎茶飾りとして用いたことが知られています。
 明治に入ると山中吉郎兵衛(箺篁)、住友吉左衛門(春翠)らによる青湾茶会の茗讌図録に取り上げられています。
 殷周青銅器など中国一級の文物が流出するきっかけとなったのは、中国清朝末期の1900(明治33)義和団の乱と辛亥革命(1911)により清朝の秘宝が略奪、接収され、諸外国に流出されていきました。


 「古代銅器」として後世の科挙の合格者である身分の高い人々が憧れを持っていた殷周時代の青銅器が日本に渡来し、中国文化を色濃く受け継いでいる煎茶の世界に取り入れられ、本来の祭器としての用途から離れて火炉、香炉、花器として煎茶席に飾られるようになったと思われます。
 「茶の湯」で使われている青銅器と「煎茶」で使われている青銅器の違いを伝来した時代背景を踏まえた興味深い講演でした。

尾張地区 神谷淑仙窟