「中国陶磁と煎茶を楽しむ会」大山崎山荘美術館令和6年6月8日

「愛知県陶磁美術館コレクション中国やきもの7000年の旅―大山崎山荘でめぐる陶磁器ヒストリー」関連企画 煎茶会「中国陶磁と煎茶を楽しむ」を、2024年6月8日(土)に、アサヒグループ大山崎山荘美術館の茶室「彩月庵」で開催いたしました。

本企画展の所蔵館である愛知県陶磁美術館学芸員の田畑潤(煎茶道売茶流師範 田畑卣仙窟)が、学芸員であり煎茶人である立場として、煎茶を広めるために、道具と点前の解説を交えながら展開するという、一風変わった煎茶席を企画いたしました。

本日の室礼ですが、まずは床から紹介いたします。掛軸には幕末から明治の文人画家、田能村直入による漁楽図を飾ります。船に乗った釣人は、中国初期王朝時代、西周時代を興した武王を補佐した名臣である「太公望」と捉えられます。また、花器や香炉には同じく西周時代の青銅器を模した簋と爵を飾っております。簋とはもともと穀物を盛り付け祖先や神を祀る器でありますが、煎茶席では花器や香炉に用いられることがあります。本日は柘榴をいけております。三本足の爵についてももともとお酒を温めて次ぐ器でありますが、煎茶席では香炉として用いられます。明治時代に西の煎茶の大将として知られ、中国古代の青銅器のコレクターでもある住友春翠ゆかりのものです。この他、中国陶磁に大きな影響を与えた中国古代の青銅器に由来する茶具を紹介しながら、煎茶の点前を楽しんでいただくという趣旨で進めていきます。

点前に入り、まずは湯を沸かす道具について紹介します。南鐐銀製の湯沸は明治の鋳金家で中国古代の青銅器を模した作品を手掛ける秦蔵六(三代)によるものです。また、火炉として用いているのは青磁の作品で、三本足の鼎という器になります。鼎も中国古代の青銅器として知られ、肉や魚類を煮込むための器として火にかけて使用し、神や祖先を祀る祭器としての役割を持っています。また、身分により所有する数にも違いがあり、科挙に合格して士官すると一つ、身分が上がると三つ、五つ、七つ、最上位の天子(王または皇帝)のみ九つ持つことができるという決まりがあります。また、棚に飾られている水注も見どころの一つです。交趾とありますが、本来交趾とはベトナムの地名でありますが、中国南方産の陶磁器を指す言葉として用いられました。こちらも中国宜興窯の作となりますが、龍の文様のある二彩の彩りは、中国南方の作風に倣っています。

次に茶を淹れる道具を紹介します。煎茶道具の主役の一つ、茶銚(急須)は、展覧会でも紹介しております茶銚の名産地である中国宜興窯の作品で、茶会記にある陽羨とは中国宜興の古い名前です。湯冷の名前にある匜とは、中国古代の青銅器のうち、手洗い用に水を注ぐ器のことで、その形を模したものになります。

 そして茶をはかる道具です。茶合は紅斑竹で、別名「湘斑竹」といい、西晋時代の『博物誌』の「舜(中国古代の五帝の一人)が崩御した時に、「湘婦人」(娥皇と女英の二妃)が悲しみ流した涙が竹の斑になった。」という伝説から「湘妃斑」と呼ばれることからきています。続いて煎茶用の茶葉が収められた茶壺も中国宜興窯の作で、江戸時代中期に煎茶を広めた売茶翁が用いていたものと同型同寸のものを用いています。

 煎茶の茶托は金属の錫製のものが好まれます。錫は本来銀白色で光沢がありますが、長期間の使用により被膜が酸化して鈍い光沢を帯びたりくすんできたりします。煎茶ではかえって歴史を感じる風合いが出ることから、中には錆を見どころとした錫製品を用いることもあります。

 本日の茗碗は、三本足の付いた鼎を模した非常に珍しい茶碗を用います。描かれている文様は饕餮文と呼ばれる、中国古代の青銅器にみられる文様で、牛の角、ヘビの眼、トラの牙爪を持つ顔だけで体の無い怪獣を指します。茗碗は水を切った後、盆に伏せて置くのが通例ですが、鼎という器は国家の象徴であり、ひっくり返しては縁起が悪い器であるので鼎の茗碗だけ伏せない特別の点前で行います。

 菓子器の形は盂という鉢で、盂も中国古代の青銅器由来の名称です。本日のお菓子の名前は一鼎、焼印で金文と呼ばれる古代文字で、鼎という字を入れています。鼎という器を横から見た形からくる象形文字でありますが、手を振るネコのような愛らしいデザインです。

 本日の席は、茗碗とお菓子、そして火炉に鼎を用いております。鼎を三つ所有するのは中国では大夫と呼ばれる身分となります。中国の文人は大夫の下の士という身分とあわせて士大夫とも呼ばれます。本日はお客の皆様を文人、士大夫と見立てて三つの鼎でおもてなしいたしました。